読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

名もなき日常

何気ない毎日が大きな物語を作っている

公園

歩いて1分程度の場所に公園がある。

ほぼ毎日と言ってよいほど、その公園の中を通る。

最寄り駅に向かうために横切っているからだ。

私にとってのその公園は、駅までの道のりを少しばかりショートカットするための道としての役割が大きい。

そのために、立ち止まることはほとんどない。

桜の咲く頃に、公園をピンクに染めるさまを写真を撮ることがある程度。

あとは、一度、遊具がアートな感じでライトアップされていたことがあり、

そのときも足を止めた。

それ以外は、基本は、入り口から出口まで向かうだけだ。

 

公園内は、コンクリートではない。

そのため、雨の日には、履物が汚れるという理由で、公園内は大股歩きになりやすい。

ただ、入り口から出口までの最短距離の直線上は、水たまりができやすいため、細心の注意が必要だ。

うっかり水たまりにはまってしまい、

履物から水がしたたるような状態になってしまうことも一度や二度ではない。

 

広さでいったら、だいだい15〜20メートル四方程。

存分に広いというわけではない。

鉄棒と滑り台と砂場があり、あとはひなたぼっこに都合がよさそうなベンチが幾つか。

アスレチックのようなたいそうなものはないし、

園内ではボールの使用が禁止されているため、キャッチボールとかは御法度だ。

春の風の穏やかな休日に、バドミントンをしているカップルはたまに見かける。

(バドミントンはボールでないという認識でよいのだろうかとも思いながら。)

 

広さが保証されているわけではない公園だが、確かにそこには人々の時間がある。

 

平日の午前中は、近くの保育園に通う園児たちが、

先生に連れられて、元気に走り回っている。

公園を横切る人には目もくれず、一心に公園中を駆け回っている。

どれだけ寒い冬の日にも、ほっぺたを真っ赤にさせながら、

公園での時間を満喫している。

それほど広くないと大人が感じても、園児にとってはきっと広い世界。

遮るものがなく、思う存分に走り回れる場所。

園児にとっては、この公園での時間は、

保育園での大切な思い出のひとつになるのだろう。

 

午後になると、ひなたぼっこにうってつけのベンチには、

ギターやウクレレを演奏すシニアの姿が目立つ。

風に吹かれて音を発する木々と弦のやわらかい音の自然のコラボレーションは、

ひなたぼっこをしながらうとうとしている人の心地良い子守唄になるだろう。

たまに、公園の近所から聞こえる子供のピアノの音が重なることもある。

ギターを弾きたいと思っていたので、

いつか勇気をふりしぼって「教えてください」って、声をかけてみようかな。

 

夜になると、人の姿をはっきりと見て取ることができないため、

シルエットや漏れ聞こえる会話等で、公園にいる人への想像を巡らせる。

ただ、あくまで公園を横切っているだけの身なので、立ち止まったりはせず、通りすぎる間の情報量で、どのようなシチュエーションなのか想像してみる。

 

引っ越してきて間もない頃、男性同士がものすごい剣幕で

言い争いをしている現場に出くわしたことがあった。

夜も深く、声だけしか聞こえなかったため、

怖さもあり、巻き込まれないようにとそっと足を早めたが、

後々、それがお笑いの練習であったことを知った。

近くにお笑いの事務所があるせいか、夜に公園で練習をしているようだ。

芸人にとって、公園は絶好の練習場所だろう。

そして、公園で練習をしているということは、

おそらくまだ駆け出しの芸人だろう。

いつか公園でのネタ合わせが、自らの原点だったという話を

メディアで聞ける日を願うばかりだ。

 

夜は、ベンチにスーツ姿で腰掛け、ビールを呑んでいる会社帰りと思われる人もいる。

そこまで大きな公園ではないから、おそらく近くに住んでいる

帰り道途中の人なのだろう。

今、そのタイミングで、公園でビールをあおるのはなぜか。

それほど遠くない場所に自宅があるのだろうから、

家に帰ってゆっくりアルコールの時間を楽しめばよいではないか。

それでも、公園のベンチで一杯ひっかけてしまう理由がそこにあるのだろう。

そんなことを想像すると、少しだけ切ない思いに駆られる。

 

夏には、公園に併設されている公共のプールが開放され、

ファミリーを中心に利用する人が多い。

200円程度で利用できるようなので、重宝されている。

プールの休憩等のアナウンスには、拡声器を使っている。

小学校・中学校時代のプールの時間を彷彿とさせる。

夕暮れが空をオレンジに染める前に、係の人がプールの時間の終わりを告げる。

夏の夜はまだ先なのに、太陽が沈む前に、プールの時間は終わってしまう。

 

公園での人々の時間に触れると、そこに公園があることの意義に気付く。

そこに公園がなければ、そこで過ごす人の時間もない。

そこに公園があることは、ただ通り過ぎるだけのものであったとしても、

自分にとっては、重要なことだ。

 

明日は、少しだけ公園内をゆっくりと通り過ぎてみよう。