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名もなき日常

何気ない毎日が大きな物語を作っている

湯船に浸かりながら

お風呂から上がった後が、一番ポジティブになれる気がする。

発想が自由だから? 一日の出来事をキレイに洗い流してくれるから?

お風呂上がりに鏡の前に立つと、その時は、「明日はこれをしよう」

「こうしてみるのも良いかも」という気が起こる。

 

ただ、睡眠数時間の果て、朝が来ると、

前日の鏡の前で起こった晴れやかな気持ちが、どういうわけか、

どこかへすっかり飛んでいってしまっている。

困ったものだ。

 

それならば、お風呂の時間を朝にシフトしてみようとも考えたが、

外出する時間が決まった状態でお風呂に入るのは避けたい。

前日、帰ったまま寝てしまった時には、仕方なく朝に浴室に行くが、

その時の目的は、とにかく前日の汚れを落とすことだけ。

朝、湯船に浸かるなんてことは、ほぼあり得ない。

 

その日の疲れを癒す時には、湯船に浸かりたいし、

湯船に浸かる時には、本を読みたい。

だから、時間に制限がある朝では、物足りないのだ。

元来、何もせずにボーッとすることができない質のようで、

湯船に浸かっている時にも、何もせずに浸かっているということはほぼない。

 

一人暮らしを始めた十数年前から、湯船に浸かるときには、

必ず本を持っていくことが習慣になっている。

実家にいた頃は、絶えず大声で歌を歌っていた。

 

話は逸れるが、温泉というものがあまり得意ではない。

温泉に入る好きではあるが、

温泉に行く目的が、あまり肌になじまないのだと思う。

いくらでも浸かっていたいのだが、浸かっている間にやることがないからだ。

宿泊している部屋にでも温泉があり、ある程度自由がきくならば別だが、

大浴場の温泉に浸かるということになると、さすがにマナーは守らねばならないからだ。

 

友人と話でもしながら浸かれるならば良いのだが、

一人で温泉に浸かるのは、手持ち無沙汰で仕方がない。

もちろん、体の芯から温まることができ、筋肉がほぐれていく感じには、

心地よさを感じるのだが、そこに至るまでの時間があまりにも手持ち無沙汰であると感じてしまう。

 

話を戻そう。

湯船に浸りながら読むものは、小説が適していると思う。

なぜなら、ただただ物語の世界に没頭できるからである。

ただ、その際に注意が必要なのは、

あまり古典的な小説ではないものが好ましいということだ。

なぜなら、古典的な小説であるほど、言葉の使い回しへの理解が困難だったり、分からない言葉が頻繁に出て来たり、

読み進める時のスムーズ感が損なわれるからだ。

防水状態のスマホを携帯して、

分からない言葉や言い回しをその場で調べるという方法も考えたが、

浴室内に持ち込むものは最小限に抑えたいため、

難しそうな言い回しが多いような小説は避けるようにしている。

 

また、小説以外の本は、

気になった箇所について、メモしたり調べたりしたいため、

これまた湯船で読むには、手間がかかる。

できれば机があるところで、集中して読みたい。

 

物語を読んでいるだけで、なぜ入浴後にそこまでポジティブになるのか。

小説の内容如何では、ネガティブな感情が起こってもおかしくはないと思うが。

自分とは異なる世界を活字の上で体験したことによって、

思考が開放的になるからか。

重いテーマの時には、「自分は恵まれているのかもしれない」と

再確認しているからか。

未だに、どうして入浴後の鏡の前が最もポジティブな感情になるのか、

答えは出ていない。

 

ただ、湯船に浸かりながら、活字の世界に没頭している時間が、

ある種の幸福な時間であることは間違いない。

 

そうそう、湯船に浸かりながらの読書に、水分補給は欠かせない。

そのための水も一緒に浴室に連れて行くことも忘れずに。