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名もなき日常

何気ない毎日が大きな物語を作っている

残業

残業時間の上限について、国会で議論が交わされている。

突然、火がついたようにこのことが議題に上がり、意見が交わされている。

 

そして、「100時間」「80時間」「60時間」という数字がメディアに躍った。

この結果に、どうも数字だけが一人歩きをしてしまっているようにも思える。

何を根拠にこの数字が発表されているのだろうか。

この数字を設けることで、企業には、就労者には、

どのような改善が見込めると想定しているのだろうか。

 

厳格な数字目標だけを設けることは、

物事の本質を一層、見えにくくしてしまう恐れがある。

今回は、「残業時間」という数字にフォーカスをするあまり、

見直さなければならない事象が、見えにくくなってしまう危険も潜んでいると思う。

ただただ、時間減らすことだけを求めるだけでは、

余計に問題が大きくなってしまいかねないと自身は危惧している。

 

企業サイドも、残業時間について言及する際には、

「残業時間を○時間以内に抑えている」ということに終止してしまう

危険性もあると思う。

同時に、就労者サイドも、「時間」という数字にあまりにも固執してしまう恐れもある。

 

もちろん、そのためにいわゆる効率化というものを諮る必要は十分にあるだろう。

どのような成果を生み出すのか分からない業務に、

多くの時間を費やしていることも、否定はできないと思う。

これを機に、意識を高め、これまでの業務内容を見直してみることは、

必要不可欠であると思う。

ただ、それも、個人単位でできることには限界があると思う。

最小単位のチームでも良いので、組織で取り組むことが、

より高い効果を上げられるはずだ。

 

組織で取り組んだとしても、

これまでの70〜80%の時間で100%の成果を挙げることは、

容易なことではあまい。

求められる成果が、どうもがいたとしても、

時間や人の力を必要とするものであった場合、

効率化という言葉だけで、問題を解決することは非常に困難だ。

 

企業間での取引を成立したいと場合、本来は対応しないことに対応することや

他の企業よりも安価で業務を引き受けることは、

適切な業務量以上のものを現場に要求することになる。

ただ、取引を失うことへの恐怖から、

顧客の要望を受けざるを得ない状況を生み出してしまう。

このような残業時間増加の温床になるような事態を野放しにしては、

どれだけ政府が大声を上げ推進をしても、本質的な改善にはならないと思う。

 

ただただ、目先の目標をクリアするためだけに、

安易な対応に留まることだけは避けなければならないと思う。

 

目標の数字は、数字でしかない。

数字は目標であって、目的ではない。

本来の目的を達成するために、本質を見極める力が求められている。

 

この議論によって、就労意欲が高い方が、柔軟に就労できる環境が、

より整備されることを願ってやまない。

あくまで一個人としての意見・感想に過ぎないが。