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名もなき日常

何気ない毎日が大きな物語を作っている

音楽は映像だ

昨日、とあるテレビ番組を見ていたところ、視聴者の思い出の曲を

ドラマにし、クライマックスでアーティストがその曲を歌って

ドラマを盛り上げるという試みを行っていた。

ドラマに音楽は必要不可欠であると思うが、

音楽がきっかけとなり、ドラマが展開といくという作り方もまた、

エンターテインメントの奥深さだなと感じる。

 

その番組では、音楽をドラマ仕立てにしていたけれど、

よくよく考えれば、音楽とは映像であるなと個人的には感じる。

その映像は、共通のものではなく、個人個人が持っている映像。

初めてその音楽を耳にした時の記憶や、よく音楽を聴いていた時の

シチュエーションというものは、映像として記憶されており、

いつでも映像として蘇る。

 

たった5分前後の曲の中に、通常では考えられないほどのデータ量が

映像として詰め込まれている。

音楽に関する個人の映像の可能性は計り知れない。

 

とあるバンドを好きになったきっかけの曲のイントロを聴くと、

風邪をこじらせて寝ていた時の映像が思い浮かぶ。

ただ、その後、その曲のイントロに受けた衝撃も一緒に息を吹き返す。

 

予備校時代に好きだった人のことを思い出す曲がある。

結局思いを伝えることができなかったせいか、

その曲を聴くと、切ない想いも一緒に蘇ってくる。

曲そのものは非常にポジティブなものなのに。

同時期に聴いていた別の曲は、夏が来ると無性に聴きたくなる。

映像が鮮明に残っているとは言っても、

すでにその時の想い人の顔ははっきりと思い出せない。

 

今のパートナーに、結婚を決意した後に別れを告げられた時に聴いていた曲は、

今でもよほどのことがない限り、耳にすることができない。

その歌詞が、当時の自分にマッチしすぎて、

後悔の念を忘れまいと自分への戒めのような気持ちで聴いていたことを思い出すからだ。

当時、ライブでよくその曲を聴いたが、毎回涙なしには聴けなかった。

人は失ってみて、初めてその尊さに気付くと言うが、

それが歌詞になっていて、心が痛む。

 

思い出したくないことを思い出してしまう曲もある。

曲そのものは大好きだし、素晴らしい曲だけれども、

引き出しの奥にしまいこんで鍵をかけたはずの過去を

また掘り返してしまいかねないために、積極的に聴けないという曲。

曲に罪はないし、思い出さなければよいのだが、

その曲の映像を、すぐに消せるほど器用ではないため、

積極的には聴かないという判断に至った。

 

懐かしいメロディを聴いて盛り上がるのは、

その頃、その音楽に本当に夢中になった思い出があるからだろうなと思う。

どれだけ長い時間耳にしていなかった曲でも、

イントロが鳴った瞬間に、当時に戻れて、口ずさめるというのは、

全身の細胞が、その音楽の映像に反応しているからなのだと思う。

不思議と歌詞まで覚えているのも、そのせいだろう。

 

最近新しくリリースされた曲があまり覚えられないとか、

いい曲だけれど以前ほどのめり込めないとか感じるのは、

音楽に付随する映像が、以前と比べるとフレッシュさに欠けるとか、

鮮烈なものではないとか、そういう理由もあるのかなと感じる。

感受性が低くなってしまっているのかなと一抹の寂しさも覚える。

 

自身の環境が変化すれば、音楽の聴き方や好みも変わってくる。

その音楽制作に携わっている人が、自身より年上なのか、年下なのかでも、

感じ方は違うのかもしれない。

 

でも、自身にとって良質な音楽には、出逢い続けたいという気持ちは、

幼い頃から変わっていない。

環境が変わることで、音楽に対応する映像も変わってくるだろうけど、

その映像に、全身の細胞が瞬時に反応する音楽に、1曲でも多く出逢いたい。

 

ひとまず今日は、苦い思い出で封印しがちなあの曲を、

引き出しの奥から、そっと取り張り出してみよう。