名もなき日常

何気ない毎日が大きな物語を作っている

花吹雪

家の窓から1本の桜が見える。ちょうど目の高さに花をつけた桜がある。

今年は、まだ花をつけている。

少しずつ、緑が増えているが、まだピンクの状態が楽しめる。

 

今年は例年よりも長く咲いているなと思う。

じゃあ、昨年はいつくらいまで楽しめたかと言われると、思い出せない。

今年が長く咲いているのではなく、

昨年までは、桜の状態を愛でる余裕が、自分になかっただけではないか。

 

季節が移り行く様子を感じることさえままならなかったのだとしたら、

一体どんな生活を送っていたのだろうと、自分のことながら思う。

 

都会の40階建てのビルの20階以上のオフィスで毎日パソコンに向かい、

朝から夜までオフィスから出ることがほぼない日々。

その日の天気の変化すら分からず、帰宅途中の電車で傘を持っている人を見て、

初めて昼間に雨が降ったという事実を知る。

高層階で窓を開けることすらできず、空気の入れ替えはできない。

また、性能のよいブラインドが陽射しを感知すると自動で開閉するため、

太陽の光も風も、雨の時独特の湿気さえも感じられない。

空調でつくり上げられた適度な温度と湿度の中で、

同じフロアにいる人が吐き出した二酸化炭素

吸っては吐いての繰り返し。

物理的にも精神的にも息が詰まるような環境。

 

それがいつの間にか、当たり前になっていたことに気付かされる。

それを当たり前として受け入れてしまっていた自分に気付かされる。

 

花を見ながら、杯を交わすなんてこともなかったな。

数年前に、当時のグループで城がある公園で花見をしたときくらい。

桜が咲くことのありがたさや尊さを、今年程噛み締めたことって、

社会人になってからなかったのではないか。

 

いつの間にか咲いていて、知らぬ間に緑の葉に姿を変えている。

身近にあるものの変化に気がつけないほど、哀しく情けないことはない。

 

ただ、そんな心が失われていたような生活も、

離れてみて数ヶ月が経つと、懐かしくも感じられる。

あの頃はあの頃で、その生活が自分には精一杯で、

それが正解だと思って、夢中だった。

ただ、もうちょっとだけ余裕があれば、

ちょっとした変化に気付けたかもしれないし、

自分のことだけを正当化するような発言は控えられたかも知れない。

離れてみなければ、気付くことはできなかったかもしれない。

離れたことを悔いる気持ちがゼロだったかと言えば嘘になるが、

そのことによって気付くことができたことは、

今後の生活の糧になるはずだ。

 

今日は、風が強いため、桜吹雪が見られそうだと天気予報士の方が言っていた。

外は暖かいが、確かに風が強い。

ベランダに干した洗濯物と一緒に、桜の枝も揺れている。

ハラハラと桜の花びらが風に舞っている様子も伺える。

桜の木がピンクの状態であるのを感じられるのも、あと少しだろう。

今年もたくさんの花を咲かせてくれてありがとう。

 

来年も今年と同じように、桜の花の変化を楽しめるような

心のゆとりが自分にありますように。