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名もなき日常

何気ない毎日が大きな物語を作っている

何が言いたいのかまとまらないけれど、更新をしてみる

これまでは、何かしら書きたいとか、読んでもらいたいと思うことがあって、

ブログを更新していることが多かったが、

今日に至っては、特に欲求がない状態で、ペンを執っている。

自分にとっては、これまでにやったことがない試みだ。

 

書きたいことがないと言ったら、半分くらい嘘になる。

日々感じていることやモヤモヤとした気持ちは、できる限り言葉にして

吐き出したいとも思っている。

 

ただ、今日はそれがうまくひとつの話題としてまとめることができそうにない。

 

一度、タイトルを決めて書き始めてみたが、

無理して言葉をひねり出しているようだったので、リセットした。

 

職業としての書き手であれば、こんなことは許されないだろうから、

書き手の方は本当にすごいと思う。

 

いつか、文章にまとめて書き残したいと思う題材もあるのだが、

どうも今、それを書きたいという気持ちにはならない。

書いているうちに、大きなストレスを抱える可能性が高いからだ。

書くという行為が基本的には好きであるため、ストレスを感じてしまっては、

今は本末転倒だと思うので。

でも、一方で、自分の中だけに留めておくにも、それはそれでヘビーである。

飾らずにすべて吐き出せたら気持ちが楽になるだろうな。

 

元々、毎日更新することが目的で始めた訳ではないのだから、

書きたいことがまとまらないならば、わざわざ更新する必要はない。

ただ、今日更新をしないという判断をすると、

書いたものをアップするということから遠のいてしまうような気がしたので、

まとまらなくてもいいから、今日は更新はしようと思った。

 

日々、書くという言う行為がルーチン化されつつある傾向だろうか。

 

職業が会社員だった頃、繰り返しの日々に飽き飽きしていたところがあった。

業務内容は特に代わり映えせず、同じことの繰り返し。

そして、そのループに終わりは見えず、一体いつまで、どこまで走ったら、

いわゆる「ゴール」が見えるのかも分からず、

そのルーチンから抜け出したいと思うことも、少なくなかった。

 

でも今となってみると、ルーチン化された日々や時間も悪くなかったなと思う。

隣の芝が青くみえているだけだとも感じるが、

ルーチンとされる行動の一つひとつにも小さいながらも違いがあり、

そして変化があったのだと思う。

心の余裕がなく、その違いや変化に気付かずに、やり過ごしてしまっていた。

そんなルーチンの日々も、離れて客観的に見られるようになってようやく、

大切な時間だったのだなと思う。

だからといって、もう一度同じところに戻りたいかと言われたら、

答えは「NO」だ。その時間を手放してでも手に入れるべきものがあると

判断をして出した結論を、覆すつもりは、毛頭ない。

 

ただ、ルーチンそのものを頭から否定していた自分の考えは、

幼かったなと今は思える。

 

今まで追われていたことから、少しだけ解放されたために、

自分と向き合う時間が圧倒的に多くなる中で、

自分が何者であるのかを考えるようになった。

組織の中での立ち位置がなくなった自分にどのような価値があるのか。

今後、また、別の組織に属すると判断した場合に、価値ある人間で

いられるのかどうか。

だからこそ、書きたいという衝動に駆られることや、

新しいことを始めたいという気持ちが湧き出ることがあったのだと思う。

 

このまとまらない気持ちでも、それなりに文章にしてみることで、

すこしでもモヤモヤした気持ちが晴れるのではと考えている。

 

会社という組織に属していた頃、

相手が言いたい意図が分かりにくいことや、結論が先に伝えられないことに

もどかしさを感じていたことがよくあったが、

今の自分の書いている文章ほど、そのもどかしさを助長するものはない。

 

組織に属していた頃の自分だったら、

「で、結論は何?」とか、「言いたいことが理解できない」というコメントを

してしまうだろう。

 

立場が変われば、考えや行動、対応もそれなりに変わるということなのだろうか。

記憶力や理解力の低下が甚だしい

最近、記憶力や理解力が低下しているという現実から

いよいよ目を背けることができなくなってきた。

 

ここ1ヶ月で新しいことを始めてみたが、

以前はもう少し、理解力が高かったのではないかと思うことが多い。

また、記憶力…というか、以前覚えたはずのことを、

根本からごそっと忘れてしまっていることもしばしば。

いや、忘れるというよりも、「そんなこと習ったっけ?」というレベルなので、

我ながら閉口してしまう。

 

そう考えると、脳が若いうちに、吸収力が高いうちに、

本当の意味での「勉強」をしっかりとしておけば良かったと思う。

当時の記憶力(暗記力)だけに任せて得たはずの知識は、

その後の人生では、これほどまでに残っていないものか、

今になって思い知らされる。

 

ただただ、覚えれば良いというものではないのだ。

なぜそうなるのか、そうなる理由はどこにあるのか、

その行程が抜け落ちていては、ただ単語を詰め込んだに過ぎない。

点だけを覚えて、線になっていない。だから、その場しのぎの暗記になる。

でも、学生の頃は、割とそのようなやり方を、

勉強であると思っていた。

 

ありがたいことに大学に進学することができたが、

高校時代までと比較すると、多少は頭を使った学びをしたような記憶があるが、

それでも、講義をメモしたノートを持ち込んで良いという試験の時は、

とにかくノートを友達同士で回し、

穴のないようなカンペを作ることの方が必至だったように思える。

なんて愚かな時間の使い方だろう。

あれほどまで貴重で豊かな時間はなかっただろうに。

大学時代の自分に今会えるならば、心から叱責したい。

 

今更ながら昔の自分に憤っても仕方がないので、

今は、とにかく低下した記憶力や理解力で、なんとか学んだことを

自身の血や肉にしなければならない。

それには、繰り返し繰り返し、飽きる程やることが必要だ。

一度に大量の情報を詰め込み、アウトプットできるだけのポテンシャルは、

どこにもない。それは、自分が一番良く分かっている。

だからこそ、少しずつで良い。自分に高望みはしない。

日によっては、前回理解したはずのことをもう一度噛み砕くだけで、

終了という日もあるだろう。もうそれで良いと思う。

急いだところで、どこかで躓いて、また戻らなければならない時がくる。

甘い基礎に、新しいものを積み上げられるほどの忍耐力はない。

だから、そうなる前に、勇気を振り絞って、戻ってみるのだ。

 

理屈が分かった上で、新しいことを知っていくことは、実に楽しいことだ。

ぼんやりとしていた線が、色濃くなってくることで、

自分の理解が高まっていることを認識できる。

 

低下していく自分の力を受け入れるのは、初めは抵抗があったが、

それを受け入れるだけでだいぶ楽になり、

楽しさも感じられるようになってきた。

強制されない学びだからこそ、自分なりのやり方で、

自分のペースで何かを得られれば、それがベストだと思う。

 

とはいえ、なかなかはかどらない知の習得を極める道は、

まだまだ長いなと感じる今日この頃です。

ライブに行きたい気持ちが再燃してしまった

初めて大好きなバンドのライブに行ったのは、今から18年前のことだ。

その時に受けた衝撃たるや。

すっかりと人生観が変わってしまった。

当時多感な時期に学生が夢中になることのひとつであった色恋に関する悩みも、

一夜にして吹き飛んでしまったほどだ。

当時、恋焦がれていた人のことですら、帰りの電車の中では、

興味の対象にすらならなくなってしまった程、自分にとっては一大事だった。

もちろん、しばらく余韻に浸る日々が続いたことは言うまでもない。

 

その日を境に、ライブに行くということのプライオリティが、

最上位になったことも、あまりにも自然なことだった。

 

気になるミュージシャンがいれば、できる限りライブに行きたいと考えている。

だが、私の中でのプライオリティが最も高いバンドが存在し、

そのバンドのライブを差し置いてまで優先する予定は数少ない。

そして、そのバンドのライブだけは、初めてライブに行ってから、18年間、

足を運ばなかった年はない。

自分の中でも、それはちょっとした記録を作っているような感覚であった。

だからこそ、その記録を今後20年、30年と更新したいと考えていた。

 

もちろん、ツアーによっては、小さな会場での公演が多いため、

チケットが取れずに涙を飲まなければならないツアーもあった。

でも、もちろん、まずはチケットを取るために、ファンクラブはじめ、

チャンスがあるものには全て懸けてみる。

ただ、その結果チケットが取れずに諦めるということももちろんある。

ライブハウスや小さなホールツアーでは、チケットが争奪戦になることが、

必至のバンドであるが故、仕方ない。

 

ただ、定価以上の価格でチケットを手に入れることだけは絶対にしない。

自身の金銭的欲求のために、チケットの売買を行っている人に、

この純真な思いを汚されてたまるものか!

 

www.tenbai-no.jp

 

繰り返しになるが、ひとつのツアーに行けないことはあっても、

ライブに行っていないなという年は、この18年、一度もなかった。

 

ただ、今年がその対象の年になる可能性が高いのである。

 

ツアーのタイミング等もあるが、一番大きな理由は、自身の出産という

一大イベントがあるあということだ。

妊娠が分かった頃から、しばらくの間、行けなくなるや、

これまで通りのペースでは行けないことももちろん、覚悟はできている。

 

ただ、いざ、その事実を目の前にした時には、

やっぱり心が乱れる思いがしたのも事実だ。

 

妊娠が分かったタイミングで、ひとつのツアーが発表されていた。

ただ、遠征になってしまう会場が多いツアー且つ、

小さな会場がメインのツアーだったために、チケットが取れなかった。

昨年の10月〜11月くらいにかけてのツアーだった。

 

今年の2月に、4月〜5月にかけてのツアーが発表になった。

これも上記のライブ同様、ホールツアー。小さな会場ばかりだ。

出産タイミングを考えると、ぎりぎり行けなくもないため、

何度かチケットを取るために縄を張ったが、案の定、

取れる気配すらなかった。。。撃沈。

 

そして、今月、9月〜12月にかけての大型ツアーが発表になった。

ツアー規模は、アリーナ!!

また、自身が住む関東公演が7公演も含まれたツアーだ。

なんということでしょう!!

 

待ちに待ったツアーである。

この規模にならないとチケットの望みはかなり薄い。

そして、考えた。

現実的に行けなくはないだろう。

自身の置かれた状況もすべて想像した上で、

行くということは、果たしてできるのだろうか。。。

 

 

 

様々な事情や状況を勘案した上で、今回のツアーは、

諦めた方がよいのではないかという結論を一度出した。

結論を出してしまうと、自身の中でも気持ちの整理ができた。

新しい命を自身の中に宿すと、このような気持ちの変化が生まれるのだと、

自分でもちょっと意外な結論だった。

 

しかし…

それで終結したわけではなかった。この気持ちの紛争には、まだ続きがある。

 

先日、キーワード予約をして録画されていた番組を不意に観てしまったことで、

ライブ行きたい熱が再燃してしまった。

2009年のライブ映像で、すでに映像化もされているため、

自身もその映像は観ているし、なんならそのライブに行っている。

だから、特別な映像だったというわけではないのだが、

そのライブ映像があまりにも愛おしくて、心が乱れた。

 

その番組で放送された映像はたった1作品だったし、

その楽曲は、もう何百回と聴いている曲であるために、自分にとって、

特段思い入れが強すぎる曲というわけでもなかったのだが、

その時の自琴線に触れてしまったのだろう。

涙がどんどん出て、止まらなくなった。

涙と同時に感情が溢れるのも止まらなくなった。

これまで、無意識に塞き止めていた気持ちの壁が一気に決壊してしまった。

 

そのため、「行きたい」「行きたい」という言葉とともに、

しばらく泣きに泣いた。

溢れるままの気持ちに、しばらくは正直になってみようと思った。

 

10分くらいすると涙が止まった。

でも、言葉にすることによって再燃した行きたいという気持ちは、

まだ自分の中から排除し切れていない。

 

自身でも厄介な気持ちであることは理解している。

自覚が欠如しているということも、十分分かっている。

 

ただ、今も「行きたい」という気持ちが残っている状態で、

その気持ちと葛藤している。

 

再燃してしまったこの火を鎮火、消火できることは、

果たしてできるのだろうか。

 

まだ、その自信はない。

書きたいという欲求は読まれたいという欲求とイコールなのか

漠然と、「書きたい」という欲求があると、不定期にブログを更新しているが、

そもそも、「書きたい」という欲求を、人の目に触れる形で実現しているのは、

本当の意味での「書きたい」という気持ちなのだろうか。

また、本当に「書きたい」ものを書いているのだろうか。

 

なぜそのように思うのか、

このブログに記事を更新する際に、どうしても書きたいことがあり、

パソコンを開くのではないような気がしているからだ。

もしかしたら、書かずにいられないということではなく、

あくまで人に見てもらいたいという欲求がどこかにあるのではないかと。

 

そうでなければ、人の目に触れるような形で表現する必要はないと思う。

 

なぜ、自身の考えや思いを人の目に触れる形で表現するのだろうか。

自身のことをわざわざ不特定多数の人に公表するのだろうか。

そこには、どのような心理が働いているのだろうか。

 

表現の仕方はさまざまであり、目的も個人によって異なるとは思う。

自分の場合はどうなのか。

 

10年くらい前までは、毎日簡単な日記をノートに毎日つけていた。

その日記は、基本は自分の胸の内をただただ綴るだけのもので、

読み返すとしても自分自身だけだから、率直な気持ちや口にできない思いなど、

思いのままに書いていた。

たまに読み返すと、当時のことをかなり鮮明に思い出せるほど、

事実に忠実に、自分の気持ちを素直に記していた。

当時の目的は、気持ちの記録をしておくという程度のものだと思う。

 

ここ10年は、何かに迷った時に、その思いをノートに書きなぐっていた。

社会人になった葛藤の爪痕が痛々しい。

その時も、表に出せない思いや迷いを、文章にすることで、

なんとか心を落ち着ける効果があったのだと思う。

その時々で揺れる思いが、妙に生々しい。

 

そして、今、こうして、人の目に触れることを前提として、

感じることや思ったことを書き綴っている。

これは、本当に書きたい欲求を満たしているのだろうか。

それよりも、自分が書いたものを、人様に「読んでいただきたい」という

欲求が強いのではないかと思う。

 

多くのアクセスを稼ぎたいとか、ブログの収入だけで食べていきたいという

大それた目標はないけれど、自身が書いてアップした記事については、

誰かに読んでもらいたいという気持ちがないなんて言ったら、

それは真っ赤な嘘だ。

その証拠に、アクセス状況を日々確認しては、一喜一憂している。

 

では、結論として、「読まれたい」ものを書いているのか。

「書きたい」ものではなくて。

もしそうだとすれば、どういうものを「読まれたい」と考えているのだろう。

考えてみたが、その答えが出ない。

 

自分だけが知っていて、それを多くの人の役に立ちそうな事象があれば、

それを知ってもらうために、「読まれたい」と思うだろう。

また、自分が愛してやまないものがあり、

もっと多くの人の知ってもらいたいと願い、綴る場合には、

「読まれたい」という欲求が芽生えて当然だと思う。

 

自身がアップしている記事は、上記の2つにはどちらも当てはまらない。

ただただ、感じたことを書いているだけ。

だから、特にブログを始める時にも、テーマが定まらず、

ブログ名にも悩んでしまった。

 

結局のところ、「書きたい」ことを書いているというよりは、

目的は定かではないけれど、「読まれたい」という欲求を満たすために、

書いているのではないかと思う。

理由なんて特に必要はないので、結論はそれで良いが、

果たして「読まれたい」という欲求がいつまで継続するのかが、不安材料だ。

 

「書きたい」という欲求は、比較的継続性のある感情だと思うが、

「読まれたい」という欲求は、読まれないことが持続すればするほど、

気持ちが萎えてしまうものではないかと思うからだ。

自身の性格上、熱しやすかった時は、冷めるのが早いため、

読まれないという状況を理由に、フェイドアウトしてしまうことが、

容易に想像できてしまう。

 

いっそうのこと、自分へのミッションのひとつとして課した方が、

継続性は保たれるのではないかとも考えてみるが…。

ミッションにする程の立場の人間でもなく、また、

そこまでして継続する意味が見つからないため、その考えは却下。

目的は、継続させるということではない。

 

自分の中に芽生えた「やってみたい」の気持ちに忠実に始めたことなので、

始めた当時と目的が変わってしまっても良いと思うし、

そこまで重く考えすぎる必要はないとは思うが、

ちょっと気になってしまったので、その気持ちを綴ってみました。

 

細かいことが気になる、自分の悪い癖。

www.tv-asahi.co.jp

 

あれこれ、ごちゃごちゃと考えてしまったけれど、

これまで通り、あまり肩肘張らずに、

「書きたい」と思ったり、「読まれたい」と思ったりしたことを、

文章という形で表現して、アップしていくのだろうと思う。

花吹雪

家の窓から1本の桜が見える。ちょうど目の高さに花をつけた桜がある。

今年は、まだ花をつけている。

少しずつ、緑が増えているが、まだピンクの状態が楽しめる。

 

今年は例年よりも長く咲いているなと思う。

じゃあ、昨年はいつくらいまで楽しめたかと言われると、思い出せない。

今年が長く咲いているのではなく、

昨年までは、桜の状態を愛でる余裕が、自分になかっただけではないか。

 

季節が移り行く様子を感じることさえままならなかったのだとしたら、

一体どんな生活を送っていたのだろうと、自分のことながら思う。

 

都会の40階建てのビルの20階以上のオフィスで毎日パソコンに向かい、

朝から夜までオフィスから出ることがほぼない日々。

その日の天気の変化すら分からず、帰宅途中の電車で傘を持っている人を見て、

初めて昼間に雨が降ったという事実を知る。

高層階で窓を開けることすらできず、空気の入れ替えはできない。

また、性能のよいブラインドが陽射しを感知すると自動で開閉するため、

太陽の光も風も、雨の時独特の湿気さえも感じられない。

空調でつくり上げられた適度な温度と湿度の中で、

同じフロアにいる人が吐き出した二酸化炭素

吸っては吐いての繰り返し。

物理的にも精神的にも息が詰まるような環境。

 

それがいつの間にか、当たり前になっていたことに気付かされる。

それを当たり前として受け入れてしまっていた自分に気付かされる。

 

花を見ながら、杯を交わすなんてこともなかったな。

数年前に、当時のグループで城がある公園で花見をしたときくらい。

桜が咲くことのありがたさや尊さを、今年程噛み締めたことって、

社会人になってからなかったのではないか。

 

いつの間にか咲いていて、知らぬ間に緑の葉に姿を変えている。

身近にあるものの変化に気がつけないほど、哀しく情けないことはない。

 

ただ、そんな心が失われていたような生活も、

離れてみて数ヶ月が経つと、懐かしくも感じられる。

あの頃はあの頃で、その生活が自分には精一杯で、

それが正解だと思って、夢中だった。

ただ、もうちょっとだけ余裕があれば、

ちょっとした変化に気付けたかもしれないし、

自分のことだけを正当化するような発言は控えられたかも知れない。

離れてみなければ、気付くことはできなかったかもしれない。

離れたことを悔いる気持ちがゼロだったかと言えば嘘になるが、

そのことによって気付くことができたことは、

今後の生活の糧になるはずだ。

 

今日は、風が強いため、桜吹雪が見られそうだと天気予報士の方が言っていた。

外は暖かいが、確かに風が強い。

ベランダに干した洗濯物と一緒に、桜の枝も揺れている。

ハラハラと桜の花びらが風に舞っている様子も伺える。

桜の木がピンクの状態であるのを感じられるのも、あと少しだろう。

今年もたくさんの花を咲かせてくれてありがとう。

 

来年も今年と同じように、桜の花の変化を楽しめるような

心のゆとりが自分にありますように。

引退という決断 〜浅田真央選手にありがとう〜

昨夜、フィギュアスケート浅田真央選手が、

選手としての終止符を打つ決断をしたことをブログで明らかにした。

筋金入りという程ではないが、フィギュアスケートファンとしては、

「今まで本当にお疲れ様でした」と言いたい。

 

フィギュアスケートに興味を持ったきっかけが、

浅田真央選手と髙橋大輔選手だっただたけに、勝負の舞台に立つ両名を

もう見ることができないのは、正直寂しい気がする。

ただ、以前、真央ちゃん(あえてここでは真央ちゃんと表記したい)も言っていたというが、

若手の選手が台頭しているので、フィギュアスケート界の盛り上がりは、

今後も期待したい。

 

26歳という若さで、ひとつのことに終止符を打つ決断をするというのは、

どのような気持ちなのだろうか。

終止符を打つものが大きすぎて、計り知れない。

自身のような凡人には、まったく理解に及ばない境地だと思う。

 

26歳と言ったら、人生でいえばこれからだ。

「これから」楽しいこともつらいことも待っている年齢だ。

その年齢まで、国の大きな期待を背負い、重圧に耐えてきたことを思うと、

脱帽以外の何ものでもない。

 

ソチオリンピックの時、ショートプログラムで16位と出遅れた結果に

「今回は無理だな」と勝手に落胆し、

フリーをリアルタイムで応援しなかったことは、本当に悔やまれる。

真央ちゃんの強さを知っていながら、諦めてしまった自身が情けない。

 

試合後に放送された彼女の渾身の演技を観る度に、目頭が熱くなる。

なんて素晴らしい演技だったのだろうと思う。浅田真央のすべてが

詰め込まれたような演技だった。私がフィギュアスケートに魅了された頃の

真央ちゃんの魅力のすべてが最高の形で凝縮されていた。

 

手足の長さを存分に生かした高いジャンプ、そのジャンプに迷いも恐れもなかった。

そこにあるのは、前日の結果もすべて受け入れた上で、

最高の演技をするのだという覚悟というか、ある種清々しいまでの

開き直りのようなものに感じられた。

氷上で演技を心から楽しんでいるのではというのは、表情からも伝わって来た。

 

彼女はその後のインタビューで、「応援してくれた人に恩返しができたフリーだったのではないか」ということを語っていたが、

大きな重圧を、そして大きな重責を、若干23歳で抱えていたことに、

また熱いものがこみ上げて来た。

 

フィギュアスケートを始めて21年だという。

一体、その何年を自身浅田真央のためではなく、国民の期待のために、

費やしてきただろう。捧げてきたのだろう。

もちろん、本人は「日本のために」という意識のみではなく、

自身の目標達成のために奔走してきたと思う。

ただ、彼女の場合は、自分の目標が、そのまま国民の期待だった。

それは、自身の目標に留まらず、国民の期待を背負うことになってしまう。

ソチオリンピックショートプログラムを振り返ったときに、

「とんでもないことをしてしまった」と表現していたが、

それは、自身のことだけではなく、声援を送っていた国民や関係者のことを

思っての発言であったと思う。

 

大会で成績を残し、「天才少女」と持て囃され始めてから、

フィギュアスケートは自身だけのためでないものになってしまったはずだ。

また、本意でないことも多く経験したと思う。

他の人が背負わなくてもよいものをたくさん背負ってきたと思う。

だからこそ、選手生活に終止符を打った今後は、自分だけの次の人生を

楽しみながら歩んでもらいたいと感じる。

 

間違いなく、日本のフィギュア界を盛り上げた逸材だった。

彼女の存在がなければ、今の日本フィギュアはこれほどまでの盛り上がりは

なかったのではないか。

 

10代〜20代前半という、最も多感で楽しい時期を

日本のために、フィギュアファンのために努力してくれて本当にありがとう!

真央ちゃんの勇姿は忘れません。

廃人から俳人へ

廃人と表現すると極端すぎるかもしれないが、しばらく無気力な状態が続いた。

基本的に喜怒哀楽が激しい人間のために、調子が良いときは、

放っておいてもどこまでも走れるのだが、落ち込み始めると、

止めどなく負のスパイラルに入り、抜けなくなってしまう。

 

また、今は特にホルモンバランスが低調であるためか、

感情のコントロールが一層困難で、

無気力状態からの脱却にしばし時間がかかることもしばしば。

 

ある程度、「やらなければならいこと」とか、「計画」に追われている方が、

元来の自分の性格には合っているのだと思う。

ただ、「会社員」という職業を手放した今は、

朝決まった時間までに、会社に行かなければならない、

いつまでに何かしなければならないという縛りがなくなり、

ある意味では、「自由」な状態を強いられてしまっている。

そう、「自由」を強いられているという状態。

自分のためだけに時間を使うとなると、何をしてよいものか分からず、

そのことに悩まされたまま、時間だけが経過してしまうという始末。

 

そんな無気力状態の自分は、とにかくソファに寝転んで、

地上波を始め、BSやCSも含めて、ひたすらサスペンスをはしごすることだ。

このスパイラルにはまってしまうと、抜け出すことがほぼ不可能に近い。

夕食の時間まで、ひたらすサスペンスタイムである。

「この回が終わったら、洗濯物をたたもう」と考えていても、

厄介なことに、間髪入れずに次の回が始まってしまう。

平日の14:00〜17:00の地上波テレ朝は、

この手法で3時間ノンストップで放送してくるから、たまらない。

しかも、1時間で完結するものを3本放送するから、ついつい見てしまう。

昼間のサスペンスの再放送の視聴率の我が家の貢献度は高いと思う。

(我が家は視聴率の対象の家ではないが。)

 

さて、そのような廃人に片足突っ込みかけている自身が、

一体なぜタイトルに「俳人」なんていう崇高な言葉を使用しているのか。

俳人としての称号を持つわけでもなく、俳句が趣味というわけでもない。

ただ、最近俳句に関する番組を観ていて、十七音という限られた字数で、

映像を表現できるということに、魅せられたからである。

 

また、俳句は川柳とは異なり、季語を用いることが鉄則とされている。

ただ、音数だけでなく、季節を表現する言葉も用いるという制限が、

一層十七音の世界に深みや趣、奥深さを加えているのだと思う。

 

他人と比較した時に、特筆すべきことが目立たなくなった高校時代、

唯一、賞状をもらったものが、俳句であった。

当時、某新聞社の俳句コーナーに、なぜかほぼ強制に近い形で

全員が俳句を出品していた。

確か、夏休みの課題で提出したものを一気に出品したのだと記憶している。

10作品ほど、応募対象になった。

そのうちの1作が新聞に掲載され、さらにその作品が年間賞にも選出された。

新聞社が主催する年間賞の表彰式にも参加した。

 

その年間賞の表彰式に参加した際に、

同じく高校生で年間賞を受賞した人に出逢った。

彼女は、とにかく俳句を作ることが好きで、常に俳句のことを考えており、

良い言葉を知ったり、良い句ができたりすると携帯電話にメモすると言っていた。

(当時の携帯電話はメールと電話くらいしかできなかったため、

送信メールにメモがたまっているというようなことを言っていた気がする。)

 

その彼女の情熱に触発され、一時期、俳句を作ることに熱中した時期があった。

ただ、その情熱は、程なくして冷め、その後10年以上、再燃することはなかった。

きっと、年間賞という形で認められたことは嬉しかったが、

認められ続けるための手段をその後見つけられなかったことが要因だと思う。

 

ただ、その時に選出された句については、一字一句違わずに覚えている。

なぜその句を作ったのか、当時の心境はまったく覚えていないが、

無意識にその句が作れたのは、今振り返ってみても、

豊かな感情の持ち主だったんだなと自分で自分を褒めたい程だ。

 

すっかり忘れていた情熱が、今になってまた再燃しそうな気配があるのは、なぜか。

よく観ている番組に触発されたのがきっかけであるが、

普段自分が見ているもの、感じていること、イメージしている映像を

言葉にするということがいかに難しく、それだからこそ尊いものであるのかを

今まで以上に感じるようになったからだ。

それが言葉にできる人、伝えられる人、そして自分以外の誰かに考えさせられる人は、心からの尊敬に値する。

自身は、もちろんまだその足元にも及ばないが、

せめて足元に及びたいという気持ちは、持ち続けたいと感じる。

 

何気ない日常の中に、自身しか感じられない変化を少しでも感じ取れるようになったら、

高校生の頃の豊かな感情を取り戻せるのではないか。

そうすれば、雨に打たれる桜を見たときも、

今よりも少しだけ、豊かな気持ちになれるかもしれない。