名もなき日常

何気ない毎日が大きな物語を作っている

記憶力や理解力の低下が甚だしい

最近、記憶力や理解力が低下しているという現実から

いよいよ目を背けることができなくなってきた。

 

ここ1ヶ月で新しいことを始めてみたが、

以前はもう少し、理解力が高かったのではないかと思うことが多い。

また、記憶力…というか、以前覚えたはずのことを、

根本からごそっと忘れてしまっていることもしばしば。

いや、忘れるというよりも、「そんなこと習ったっけ?」というレベルなので、

我ながら閉口してしまう。

 

そう考えると、脳が若いうちに、吸収力が高いうちに、

本当の意味での「勉強」をしっかりとしておけば良かったと思う。

当時の記憶力(暗記力)だけに任せて得たはずの知識は、

その後の人生では、これほどまでに残っていないものか、

今になって思い知らされる。

 

ただただ、覚えれば良いというものではないのだ。

なぜそうなるのか、そうなる理由はどこにあるのか、

その行程が抜け落ちていては、ただ単語を詰め込んだに過ぎない。

点だけを覚えて、線になっていない。だから、その場しのぎの暗記になる。

でも、学生の頃は、割とそのようなやり方を、

勉強であると思っていた。

 

ありがたいことに大学に進学することができたが、

高校時代までと比較すると、多少は頭を使った学びをしたような記憶があるが、

それでも、講義をメモしたノートを持ち込んで良いという試験の時は、

とにかくノートを友達同士で回し、

穴のないようなカンペを作ることの方が必至だったように思える。

なんて愚かな時間の使い方だろう。

あれほどまで貴重で豊かな時間はなかっただろうに。

大学時代の自分に今会えるならば、心から叱責したい。

 

今更ながら昔の自分に憤っても仕方がないので、

今は、とにかく低下した記憶力や理解力で、なんとか学んだことを

自身の血や肉にしなければならない。

それには、繰り返し繰り返し、飽きる程やることが必要だ。

一度に大量の情報を詰め込み、アウトプットできるだけのポテンシャルは、

どこにもない。それは、自分が一番良く分かっている。

だからこそ、少しずつで良い。自分に高望みはしない。

日によっては、前回理解したはずのことをもう一度噛み砕くだけで、

終了という日もあるだろう。もうそれで良いと思う。

急いだところで、どこかで躓いて、また戻らなければならない時がくる。

甘い基礎に、新しいものを積み上げられるほどの忍耐力はない。

だから、そうなる前に、勇気を振り絞って、戻ってみるのだ。

 

理屈が分かった上で、新しいことを知っていくことは、実に楽しいことだ。

ぼんやりとしていた線が、色濃くなってくることで、

自分の理解が高まっていることを認識できる。

 

低下していく自分の力を受け入れるのは、初めは抵抗があったが、

それを受け入れるだけでだいぶ楽になり、

楽しさも感じられるようになってきた。

強制されない学びだからこそ、自分なりのやり方で、

自分のペースで何かを得られれば、それがベストだと思う。

 

とはいえ、なかなかはかどらない知の習得を極める道は、

まだまだ長いなと感じる今日この頃です。